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江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

石川島人足寄場<中央区>

石川島の人足寄場


 私のお薦めのコースですが,大江戸線の門前仲町駅で降りましょう。富岡八幡神社でお参り,立派な神輿,そして江戸時代に日本地図を自分で測量して作り上げた伊能忠敬の立像を見学してから,清澄通りまで歩きます。さらに真っ直ぐ歩いて,隅田川に架かる永代橋から石川島を眺めるのもいいのですが,今日はここで左折。

 右手は越中島公園,左手には東京海洋大学の船が見えますよ。相生橋を渡る頃,右手に見えるのがウオーターフロントの高層ビル。

佃島.JPG


 ここは中央区佃,江戸時代にここにあった石川島に石川島造船所ができましたが,これが発展して(株)石川島播磨重工になりました。工場は昭和54年に閉鎖,そしてこの跡地にウォーターフロント開発計画で高層ビルができたというわけです。そのとあるビルの1階に石川島資料館が開館。造船所の創業から現在までと,石川島・佃島の歴史や文化を知るにはいいですよ。

 それで,今回は相生橋をさらにまっすぐ進んで,初見橋交差点から右折します。佃大橋の手前を右へ折れると隅田川に沿って佃煮の老舗,天安や丸久があります。そう,ここが佃島だからです。近くには住吉神社,そして復元された,今ではトイレの付いた石川島灯台がありますよ。灯台のある公園で一休み,隅田川を航行する屋形船をぼんやりと眺めるのもおつなもの。ここからもリバーポイントタワーやシティーフロントタワーが見えますよ。これらの高層ビルの建ち並ぶ一帯が石川島,現在の地名で言うと中央区佃一丁目あたりかな。「鬼平」こと長谷川平蔵が松平定信に「お願いしますよ」と願い出て造らせたそうですが,ここには「石川島人足寄場」がありました。その跡地である佃公園にはモニュメントも残されていますが,実際の人足寄場の役所は三井倉庫のあたりらしいのですね。では人足寄場っていったい何をしたところなのでしょうね。ここでは江戸幕府が組織としてある目的をもって,特定の人々に職業訓練を行ったのです。

月島2.JPG



 江戸時代も成熟してくると,そして税金が高額になったりすれば当然暮らしていけなくなる人々が増えますね。このような人たちは江戸に入って,ここでなんとか稼ごうとするのですが,そんなに簡単には稼げない。それならば,と犯罪に走る。それで無宿人や刑期を終えたけれども引き取り手のいない人たちを,最初は単純な力仕事の人夫として働かせながら,大工,建具製作など本人に適した職能を身につけさせ,現在の刑務所と同様に労働に対する手当を支給したのですね。この手当の一部は強制的に貯金をさせ,3年の収容期間を終えて出所する際にはこの貯金を与え,これを元手に正業に就かせたのですよ。こうして犯罪者などの社会復帰をねらって訓練した場,石川島と佃島のあいだの浅瀬を埋め立てて建設されたのが「石川島人足寄場」なのですね。

 池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の主人公,鬼の平蔵こと長谷川平蔵・・・本当にいたのですね。ドラマの中だけの存在ではないのですよ。平蔵は立派なことをしましたね。もんじゃ焼きを食べにいったついでに,思い出してくださいね。

    



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